「東京でマス釣り」の下書き

世界まぼろし協議会だより

ジュンパ・ラヒリは僕が好きな作家

ジュンパ・ラヒリは両親がカルカッタ出身のインド系作家。今はニューヨークで暮らしている。生まれたのはロンドンだ。
物語はどれも静かだが、何かと戦ったあとのようなものが漂う。人、それぞれ、はじまりと中間(結婚とか)、終わりがある。自分では選べない。しかし、私達は少しだけ運命に立ち向かうことができる。武器を持たなくても、口にださなくても。「停電の夜」に誰かと人生に語りあってもいいし、昔の大家に成長した姿を見てもらうとかでもいい。人生はつらいことがいっぱいあるので、すべて許す。

シックスとセックスの発音が似ているので、中学生の頃は女子の頬も紅くなっていた。

きっとアメリカ人だって、内心そう思っているに違いない。

彼らの虚栄心が、本心を言わせないだけだ。

 

トランプ氏が優勢なのは、シックスとセックスは同じだと、はっきりと言うからだろう。

 

「サナバビッチ」だって、「さらば、ビーチ」っていう風に聞こえるから、

放送禁止用語でも、抵抗感がないんだよね。

 

シックスセンスって映画が公開されたときはびっくりしたよ。えっ、やっぱり、それはセンスなのかってね。

 

(俺やあんたが)赦されること 100のうち1

結婚しているのに別の人を好きになって、おまけに離婚する。

 

日本人なら源氏物語を読め。書類一枚で一生縛られる文化が成立したのは、ここ2年くらいの話だ。他の女とやりたけりゃ、ちゃんと離婚しろだって? はあ? ぷっ。

 

そうやって、誰が幸せになれるんっていうんだよ。

元々何もなかった。

辛抱と貧乏と それと

 

バイオリンの棒

 

合わせて3本のボウ

 

鈴木政吉の言葉。心に染みるぜー。

 

フジテレビ 2月14日放送

日本のヴァイオリン王 〜名古屋が生んだ世界のマエストロ 鈴木政吉物語〜

より

直子という名の女性   片岡版も村上版も

片岡義男を読み始めたのは二十歳からだ。大好きだった女の子の影響だった。話題についていく、ただそれだけのために読み始めた。当時、東横線の新丸子に住んでいて、3つ先の駅の自由が丘でコーヒーを飲みながら、読んだ。大好きな女の子が偶然に通りかかるのを待っていたりもした。もちろん、偶然はなかった。
大好きだった女の子には完全に振られた後も、片岡義男を読み続けた。出版される本は片っ端から読んだ。
今、その当時読んでいた文庫本の多くは絶版になっている。
大好きな女の子は40代の男性に体のあちこちをいじられ、完全に女になっていた、と後で聞いた。
ぼく達がかなりの大人になり、受け入れ態勢が整った頃に片岡は「東京青年」を書いた。誰が誰を大人にしてしまうのか、それは不思議な感覚だ。
引用という形で片岡義男の文章を載せる。

東京青年 (角川文庫) [文庫]より
-----引用初め
「裸になって」
 さきほどとおなじ言葉を、直子は繰り返した。そして彼のかたわらへ優美にしゃがんだ。彼はスラックスを脱ぎ、足もとに落として両足をそこから抜いた。強烈な勃起が、どうすることも出来ないまま直子の目の前にあらわになった。
------引用終わり

普段の片岡作品には、上のような文章はないのだけど、彼が「勃起」とかけば、彼なりの勃起になっている。(笑)だ。「直子」という女性の名も、村上春樹のとは「かなり異なる」と書きたいところだが、なーんか「直子」は直子だよね。かなり大人になっちゃってるけど、直子は古今東西上下左右、金太郎飴状態だ。

大好きな女の子は、本当に白いTシャツが似合った。いまでは、すっかり大人になっていて、「おばさん」などと呼ばれたりしているだろう。
しかし、ぼくはあまり大人にはなっていないようだ。そのおばさんに再会したらどうなるのだろう。どこそこの店で食事をしようとか、何がおいしいとか知らないし、ランチ、ディナーなんて行ったことがないので、頭に浮かぶデートコースは未知のものばかりだ。気のきいたセッティングはほぼ無理。
結局、こんなに大人になった今でも、手を引いてくれるお姉さんを待っている始末だ。

いつか「玲子さんという名の女性」とタイトルでも何か書こうかな。ちょっと違う文章になるんだろうな。