ジュンパ・ラヒリは僕が好きな作家
ジュンパ・ラヒリは両親がカルカッタ出身のインド系作家。今はニューヨークで暮らしている。生まれたのはロンドンだ。
物語はどれも静かだが、何かと戦ったあとのようなものが漂う。人、それぞれ、はじまりと中間(結婚とか)、終わりがある。自分では選べない。しかし、私達は少しだけ運命に立ち向かうことができる。武器を持たなくても、口にださなくても。「停電の夜」に誰かと人生に語りあってもいいし、昔の大家に成長した姿を見てもらうとかでもいい。人生はつらいことがいっぱいあるので、すべて許す。
ぼくには姉はいないのだが
その姉が突然死んで、いろいろな予定に間に合わない夢をみた。
場所は島だった。それはあっている。父もいた。すでに死んでいる。母も元気だった。もう歳で施設に入院している。
(俺やあんたが)赦されること 100のうち1
結婚しているのに別の人を好きになって、おまけに離婚する。
日本人なら源氏物語を読め。書類一枚で一生縛られる文化が成立したのは、ここ2年くらいの話だ。他の女とやりたけりゃ、ちゃんと離婚しろだって? はあ? ぷっ。
そうやって、誰が幸せになれるんっていうんだよ。
元々何もなかった。
辛抱と貧乏と それと
バイオリンの棒
合わせて3本のボウ
鈴木政吉の言葉。心に染みるぜー。
フジテレビ 2月14日放送
日本のヴァイオリン王 〜名古屋が生んだ世界のマエストロ 鈴木政吉物語〜
より
直子という名の女性 片岡版も村上版も
片岡義男を読み始めたのは二十歳からだ。大好きだった女の子の影響だった。話題についていく、ただそれだけのために読み始めた。当時、東横線の新丸子に住んでいて、3つ先の駅の自由が丘でコーヒーを飲みながら、読んだ。大好きな女の子が偶然に通りかかるのを待っていたりもした。もちろん、偶然はなかった。
大好きだった女の子には完全に振られた後も、片岡義男を読み続けた。出版される本は片っ端から読んだ。
今、その当時読んでいた文庫本の多くは絶版になっている。
大好きな女の子は40代の男性に体のあちこちをいじられ、完全に女になっていた、と後で聞いた。
ぼく達がかなりの大人になり、受け入れ態勢が整った頃に片岡は「東京青年」を書いた。誰が誰を大人にしてしまうのか、それは不思議な感覚だ。
引用という形で片岡義男の文章を載せる。
東京青年 (角川文庫) [文庫]より
-----引用初め
「裸になって」
さきほどとおなじ言葉を、直子は繰り返した。そして彼のかたわらへ優美にしゃがんだ。彼はスラックスを脱ぎ、足もとに落として両足をそこから抜いた。強烈な勃起が、どうすることも出来ないまま直子の目の前にあらわになった。
------引用終わり
普段の片岡作品には、上のような文章はないのだけど、彼が「勃起」とかけば、彼なりの勃起になっている。(笑)だ。「直子」という女性の名も、村上春樹のとは「かなり異なる」と書きたいところだが、なーんか「直子」は直子だよね。かなり大人になっちゃってるけど、直子は古今東西上下左右、金太郎飴状態だ。
大好きな女の子は、本当に白いTシャツが似合った。いまでは、すっかり大人になっていて、「おばさん」などと呼ばれたりしているだろう。
しかし、ぼくはあまり大人にはなっていないようだ。そのおばさんに再会したらどうなるのだろう。どこそこの店で食事をしようとか、何がおいしいとか知らないし、ランチ、ディナーなんて行ったことがないので、頭に浮かぶデートコースは未知のものばかりだ。気のきいたセッティングはほぼ無理。
結局、こんなに大人になった今でも、手を引いてくれるお姉さんを待っている始末だ。
いつか「玲子さんという名の女性」とタイトルでも何か書こうかな。ちょっと違う文章になるんだろうな。